応賀寺(湖西市新居町)浜名湖七福神巡りの恵比寿様

新居関所から北側に向かって歩くと、新幹線の線路を越えたその先にあるのが「応賀寺」。

奈良時代から平安時代はじめに開創された真言宗のお寺を巡る、「浜名湖七福神」のひとつでもある、由緒正しいお寺です。

応賀寺について

鏡光山応賀寺は神亀年間(724年〜)に、聖武天皇の勅願寺として、行基菩薩により開基されました。

その後、弘仁年間(810年〜)に弘法大師が各地を巡って教えを広めていた時に、浜名湖を渡ろうとしました。

ところがその途中、風が強く吹き船が波にあおられて、夜の闇の中、浜名湖の湖の上を漂流することになってしまいました。

そのとき遠くの対岸にひとすじの光が輝いているのを見つけ、それを目標に無事に陸地に漕ぎ着くことができました。

この光が応賀寺の本尊、薬師如来の光背であったと伝えられてうます。

心からありがたく思った弘法大師は、この寺の山号を光る鏡の山、鏡光山と呼び、喜びに応ずる寺すなわち応賀寺と名付け、海上安全と息災安穏を祈願されたと伝えられています。

最盛期には塔頭は西林坊、尭泉坊、杉本坊、聞持院、慶蔵坊、今蔵坊、山本坊、松之坊と八坊を有していました。

慶長8年(1603)、徳川家康公御朱印地38石を拝領致しましたが、明治維新を迎えると現在の応賀寺と杉本坊を残すのみとなり、杉本坊も明治9年敗坊となりました。

応賀寺には、薬師堂前の宝物館に貴重な文化財が多数保管されているほか、本尊の薬師如来横に、鎌倉後期の作といわれる木造四天王立像(持国天、増長天、広目天、多聞天)が安置されています。

このほかにも、明治時代の廃仏毀釈で廃寺となった舘山寺の木造阿弥陀如来坐像など、複数の仏像が祀られています。

境内の案内板

応賀寺は山号を鏡光山と称する真言宗寺院で縁起によれば神亀年中に行基菩薩が聖武天皇の勅を受け、諸国民巡錫のおり創立したと伝えられる。往古は知行五百石を数え、塔中は八坊を有していた。
薬師堂は桁行五間、梁間五間、正面一間高拝付、二重、方形造、桟瓦葺の建物で昭和五十六年に静岡県指定文化財となった。
近年、柱の傾斜や部材の腐朽などが特にひどくなったため、静岡県・新居町から援助を受け、平成元年より平成四年にかけて大規模な保存修理を実施した。平行して行った調査で薬師堂は、室町時代後期に軸部だけが建てられ、一旦工事が中断、江戸時代前期においてやっと完成したという特異な経緯がわかった。
今回の修理で寛永十九年(1642)の再建時に復原され、建物の平面構成や外陣の架構、内陣の意匠など地方寺院の好例であることが裏付けられた。
新居町教育委員会

応賀寺の節分「星祭り」

応賀寺といえば「星祭り」というほど。

新春2月3日に開催され、豆まきは多くの人で賑わいます。

応賀寺の御朱印

浜名湖七福神専用の朱印帳や色紙が購入できます。

シオン
わたしが訪れた時は、朱印帳が1,000円、色紙が1,800円でした。

朱印代は200円。普通の朱印帳の場合の朱印代は300円です。

この方のものは色紙ですね!

応賀寺と源頼朝

建久元年(1190)に源頼朝が上洛する途中のこと。

橋本宿(今の湖西市新居町)に滞在した頼朝が、長者の娘を愛し、その娘に与えたという扇子と団扇が応賀寺に残されています。

頼朝の死後、娘は尼となって、名を妙相と改めてこの応賀寺を建てたといわれています。妙相の守り本尊とされる毘沙門天立像を応賀寺に奉納しました。

この像の胎内から文永七年(1270)という記述がある「夢想霊記」という妙相の文書が見つかっています。

応賀寺のアクセス・駐車場・受付時間

住所 湖西市新居町中之郷68-1
受付時間 9:00〜17:00
駐車場 あり
拝観料 宝物館300円※拝観は1週間前までに予約が必要です
URL 公式ウェブサイト