賀久留神社(浜松市西区)地名の由来にもなった?!1000年以上前からある由緒正しい神社

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地元の人溺愛の餃子屋さん「丸和のぎょうざ」からほど近いところにある神社が「賀久留(かくる)神社」です。

昔は神ケ谷明神とも呼ばれていました。

古くから雨乞いの神様として知られている、雨乞いの龍の伝説が残る神社です。

延喜式にも載っている、由緒ある神社

賀久留神社は、1000年以上前につくられた延喜式に載っている神社(式内社)で、とても由緒正しい神社。

平安時代創建と伝わっていて、古くから雨乞いの神として知られています。

貞観4年(862年)に清和天皇より従五位下の階位を賜りました。

「賀久留」とは、神が隠れ籠もる地という意味なのだそう。

神久呂(かくろ)の地名の由来とも言われています。

浜名湖周辺の「式内社」については、こちらの記事で解説しています。

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賀久留神社の御神木は、クスノキの大木

境内の西側には、クスノキの大木(夫婦木楠)があります。

立て看板によると、樹齢は800年、高さは35メートル。

また、境内の東側には立派なモミの木が立っていて、そちらは市の保存樹に指定されています。

賀久留神社に伝わる、雨乞いの龍の伝説

賀久留神社には、雨乞いの龍にまつわるお話が伝説としてあります。

それは、こんなお話。

むかしむかし、ひどい水不足の年がありました。

雨乞いをしてどんなに神様に祈っても、水一滴すら降らず、田んぼや畑は荒れ放題。

困った村の人は、賀久留神社にある「竜の面」に頼ることにしました。

ところがこのお面、洗って祈るとお面が荒れて大雨になるともいわれているものでした。

村人は大雨になるのではと心配しましたが、ほかに方法もなかったので、神主に祈ってもらうことにしました。

そこで神主は賀久留川(当時隠川)にお面を浸し、雨が降るように祈りました。

すると、雲におおわれて空が急に暗くなり、ものすごい雨が降りました。

雨は、近くの松の大木を流し、下流の森の方まで流してしまったと言われています。

賀久留神社の神門

日清戦争のとき、賀久留神社がある村から出征した兵士は誰ひとり戦士しなかったことから、賀久留神社に祀っている武運の神様のおかげだという話が広がって、日清戦争や大東亜戦争などの際、日本全国からお守りを求めて人々が集まりました。

五社神社と賀久留神社

五社神社と賀久留神社には、深いつながりがあります。

詳しくは、こちらのページで解説しています。

賀久留神社と流鏑馬

江戸時代、神社仏閣や弓術家の家に矢場(弓矢を射る場所)が設けられ、とくに神社では奉納の競射会が盛んに行なわれました。

浜名湖周辺では、有玉神社(有玉南町)、女河八幡宮(湖西市新所)などで、祭典行事として流鏑馬が行なわれました。

競技方法は、的をしだいに小さくしてゆき、その日の最後には直径二寸(六センチ)の金的(きんてき)を射ります。

この的は、金箔の紙が張ってあるため金的とよばれます。

金的を射るのはとても難しく、とても名誉なことでした。

そこで、後日金的を当てたことを板の額に書いて、その神社の拝殿または射小屋に奉納しました。

この奉納した額のことを、「金的中」の額といいます。

そのほかにも、浜名湖のあたりでは、利町の諏訪社・鴨江寺・竜禅寺・頭陀寺・賀久留神社・蒲神明宮・末嶋の御嶽神社・笠井の若倭神社などには各々矢場があって、「金的中」の額が掲げられていましたが、戦禍で失われてしまいました。

延喜式に書かれているのは、もうひとつの神社?

「賀久留神社」に関連する神社として、浜松市西区呉松町の曽許乃御立神社があります。

似たような名の神社で、どちらが『延喜式』に記されている神社か判断できないんだそうですよ。

賀久留神社のアクセス、駐車場、御朱印

住所 静岡県浜松市西区神ヶ谷町4279
駐車場 境内北にあり
御祭神、御利益 ★五穀豊穣 雨乞い 生寿 福賀 厄除け
闇御津羽神
闇淤加美神
★武運長久 交通安全
玉依毘賣命
気長帯比賣命
誉田別命
御朱印 あり

参考文献

浜松市史2

浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔』2